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- 池ケ原村(近世)とは
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池ケ原村(近世) 江戸期~明治13年頃の村名越前国大野郡のうち経ケ岳南西のすそ野に広がる六呂師高原南西部に位置する地名の由来は,「大野郡誌」に「芦沼小矢谷の一部落池ケ原に在り,地名之に原づく」とあるはじめ福井藩領,寛永元年勝山藩領,正保元年幕府領福井藩預り地,貞享3年幕府領直轄地,元禄4年からは再び勝山藩領村高は「正保郷帳」は畑方のみで5石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」でも同じく5石余「名蹟考」池ケ原村の条に「沼,村より東北に在り,平泉寺の正面なり,芦有」と見えるまた,菖蒲もあり,寛政8年勝山藩主が池ケ原へ見物に出向いたという(平泉寺史要)明治4年勝山県,以降福井県,足羽【あすわ】県,敦賀県を経て,同9年石川県に所属「足羽県地理誌」によれば,戸数3・人口14(男8・女6),馬3,物産は布・薪明治13年頃小矢谷村の一部となる(勝山市史) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
池ケ原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」